トップマップラーメン青春記歴史こだわりメニュー通信販売
◎ ラーメン青春記
こむらさき創業40周年記念
Part1
江越哲也(パーソナリティ)、高千穂正史(仏厳寺住職)、
丸住亜士(公認会計士)、坂東八十助(歌舞伎役者)

ひとつだけ覚えた英単語

高校時代、英単語を覚えるより、フォークソングの新曲をコピーする方が大事で得意だった。一応、バイブルの「赤尾の豆単」を、ア・アバンダン・・・と丸暗記ロードレースに出発するのだがいつも同じ。ところが一個だけ覚えた単語がある。それも難度のやつ。「LAMENTABLE」(形容詞・意味は「悲しい・嘆かわしい」)、発音は「ラメンタブル」。バンドメンバーと練習の後、今はなき、喫茶「チェス」でダジャレを言い合った時「ラメンタブル」がラーメン食べるに通じた。即、近くの「こむらさき」へ。以来、悲しい事や嘆かわしい事があると「こむらさき」が食べたくなる。
江越 哲也 (パーソナリティ)


昭和二十九年十月、「こむらさき」開店。このとき、私は二十一歳。ウエストのサイズは七十三センチであった。青春とは、おなかがひっこんでいるということであろう。それから四十年、私は確実に老いた。自分には理不尽とさえ思えるのに、歳月は容赦しない。ズボンの寸法は勿論、何も彼も変わってしまった。すっかり変わってしまった。「昔を今になすよしもがな」である。

この四十年たってひとつか変わらないことがある。それは一週間に一度、かならず「こむらさき」のチャーシューメンを食べること。
高千穂正史 (仏厳寺住職)


ラーメン大好き人生


私のラーメン初体験は、戦後まもない昭和二十年代。その頃は「支那そば」と言っていた。辛島町の闇市場の屋台、夜鳴きそばのチャルメラの音 懐かしい味である。その後、私が大学へ通っていた頃たまらんごつ、うまかラーメンがあった。毎日黒髪から自転車で通って食べていた。それが上通の「こむらさき」さんであった。おかわりをするのが恥ずかしく、ラーメンのハシゴをすることもあった。ヤケ酒ならぬヤケラーメンをすすることもしばしば。「こむらさき」さんとは、その頃からのつきあいである。

丸住 亜士 (公認会計士)


お城の好きな私は中学時代、熊本城をたずねるため遠縁の朝鮮飴の老舗園田屋に寄宿して、一週間程熊本に滞在したことがあった。ある日の昼、「今日はラーメンでも食べる?」とおばが声をかけてくれ、上通りの道を隔てたすぐ向かいの、小さなラーメン屋に連れて行ってくれた。そこで食べたラーメンのおいしさに、私は目を丸くしてしまった。
「こんなにうまいラーメンが世の中にあったのか!」と、東京のラーメンしか食べたことのない中学生は大いなるショックを受け、それから毎日おばにねだって「こむらさき」へ通ったのを覚えている。似来「こむらさき」は私にとって忘れられぬ名となり、いつしか私が熊本を訪れる楽しみは、熊本城から「こむらさき」に移ってしまった。

坂東八十助 (歌舞伎役者)

Part2へ
パート2へ
岩岡洋志(新横浜ラーメン博物館館長)、原田躬予子(ハウジング情報編集長)
吉田敏夫(日本航空(株)熊本支店支店長)、島田真祐(島田美術館館長)


トップ | マップ | ラーメン青春期 | 歴史 | こだわり | 通販

このホームページに関する御質問・御意見は info@komurasaki.comまでどうぞ。(C)2000-2006 Komurasaki All rights reserved