
こむらさき創業40周年記念 |
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岩岡洋志(新横浜ラーメン博物館館長)、原田躬予子(ハウジング情報編集長)、吉田敏夫(日本航空(株)熊本支店支店長)、島田真祐(島田美術館館長) |
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| 幼少の頃、茶箪笥にはいつもインスタントラーメンが入っていた。私は三人兄弟の末っ子で、兄たちにラーメンを横取りされていた。私がラーメンを意識しはじめたのは、この頃からだ。「あ〜、うまいラーメンをおなかいっぱい食べたい!」ともかくラーメンが好きだった。≪ラーメン博物館≫の構想は、「こんなものがあったらいいな」と、ずっと考えていた結果である。日本全国のラーメンをひたすら食べ歩き、私はひとつの結論を見つけることができた。うまいラーメンには、技術や材料だけではない、何かがあるのだ。それは、店主のラーメンに対する想い・情熱がなければうまいラーメンは作れない、ということだ。≪こむらさき≫には、まさしくその熱い想いがある。うまいラーメンをおなかいっぱい食えて、私は嬉しい!! |
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| 岩岡 洋志 (新横浜ラーメン博物館館長) |
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18歳のカルチャーショック
“これなんだ?”
初めて熊本を離れ、受験で上京して食べたラーメンの味。醤油で支那竹が貧相にのっていた。ラーメンは、きくらげがのっている「こむらさき」の味しか知らなかった十八歳の私。東京のカルチャーショックは、ラーメンから始まった。魚屋には、頭のない切身の魚が売られ、新鮮なのか古いのかわからない。頭のない魚なんて…。休みに帰ってくると、まず「こむらさきのラーメン」を食べ、次に母と一緒に子飼の商店街の魚屋さんをハシゴし、頭のついた魚をながめると幸せな気持ちでいっぱいになった。「こむらさきのラーメン」を食べると、『青春』が帰ってくる・・・・・・。 |
| 原田躬予子 (ハウジング情報編集長) |
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ラーメン大好き人生
「ラーメン育ち」と云っても言い過ぎではない位、私は物心がつき始めた時から、どこへ行ってもラーメンばかりねだって周囲の失笑を買っていた記憶がある。
本社のマーケティング部にいた頃、担当者と計らって機内でラーメンをサービスしようという試みたがなにせ大量の水を使うということで、航空機のスペース制限から断念した。
不思議なものでラーメンをすすっていると、とても素直な気持ちになり、食べる姿にその人の人生が自然と浮き出て来る様な感じがする。ラーメンにもその土地の風土、文化や料理人の人柄等が凝縮して個有の味がしみ出ている。
熊本のラーメンは、水晶のような水をふんだんに使って麺を磨き、とん骨のまろやかなスープととけあって全国でも有数のラーメンだと思う。
北国生まれの自分は、たまにさっぱりした正油味の支那そば風が懐しくなるのも「ラーメン育ち」のせいなのだろうか。
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| 吉田 敏夫 (元 日本航空(株)熊本支店支店長) |
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筍のひこずりと鯖の煮付が好物で、九十二年の生涯に一度も洋服の袖を通さなかった祖父は、ラーメンなるものを食した事など、おそらくなかった、と思う。若くして外地に骨を埋めた父も幾度か支那蕎麦に箸をつけた程度ではなかったか。私の付合いもまた、おそく、浅い。外食のとば口となる高校の運動部時代、旧兵舎を使った剣道場の近くには、うどん屋さんしかなかった。ラーメンもギョウザも、どこかまだ異国(とつくに)の語感とにおいを漂わせていた。こむらさきに立ち寄るようになったのは、四十を過ぎた頃からか。味もともかく、本店で時折お会いするご主人のだしのよく利いた温顔の魅力もあった。近頃では昼間の付合いは減った。もっぱら夜、酒の後の上がりのビールのよき連れ合いに決めている。タイトルの伝にならえば、あるいはおそ過ぎた青春なのだろうか。
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| 島田 真祐 (島田美術館館長) |
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